役回りを担うということ

今年度は学部の就職担当なので仕事についての考えを少し。

就活サイトなどでは「やりたいことを見つけよう」とか「自分にあった仕事」とかいった言葉がよく使われます。またそのロジックに従って、「仕事へのモチベーションを高める方法」などを探す人も少なくないようです。でも多くの仕事は、やる気があるからするものではなく、やる気の有無には関係なく実行するものです。例えて言えば、目の前の地面に開いている穴を埋めるのが仕事という行為です。

むしろモチベーションを上げることで仕事を進める方法は上策ではないと思います。モチベーションは多くの場合、ドーパミン報酬系に依存するからです。ドーパミン報酬系は依存症という中毒に直結して、より大きな苦痛を招きます。例えば数値化された成果指標を血眼になって追い求めるのが典型的な症状です。達成感という快楽を得るために、より大きな不快を作り出してしまいます。

その不快が個の中に留まるならまだその人の勝手と言えるのですが、多くの場合、周囲の人々も不快に巻き込んでしまいます。依存症の人は、その成果指標の妥当性を信じるために、他者の同意を必要とするからです。

というわけで、仕事に必要なのはモチベーションではなく、開いている穴を見つける「目」と埋める「力」です。この場合の「目」とは知識と想像力で、「力」は技術と行動力です。この目と力を高めるのが大学での教育です。

その穴は不思議なもので、見える人と見えない人がいます。見るには想像力が必要だからです。この想像力には先天的な部分と後天的な部分があり、後天的な部分を高めようとするのが教養教育です。教養のある人とは想像力のある人で、言い換えればメタ認知に長けた人です。

この点に教養教育の重要性があります。いくら専門の知識や技能を身に着けたところで、最初に穴を見出す想像力がなければ木偶の坊です。

穴を埋めるのが仕事なら、それは無味乾燥でつまらないものだと考える人がいるかも知れません。しかし穴を埋める行為は他人の為になります。むしろ仕事は自分のためにするものではなく利他行為です。我欲のために仕事をするからドーパミン報酬系の奴隷に堕ちるのです。不安を伴わない幸福感は利他行為によって得られるのです。

最後にもう一点、「穴を埋める仕事」は創造的ですらあります。「穴」には、見つけやすいものと、誰も気づかない自分だけに見えるものがあるからです。それは見ようとして発見するというより、見えてしまうものと表現する方が的確です。

もし見えてしまったら仕方がありません。それを埋めるのが自分に回ってきた仕事です。潔く自分の人生を差し出して役回りを担ってください。


追記:なぜ役割ではなく役回りと書いたのか
偶然自分に回って来た課題であり、余人をもって交代可能であるというニュアンスを強めたいので「役回り」としました。