以前、TIGG誌の糖質学会40周年記念号に奨励賞受賞者として投稿した小文を一部改訂して上げます。
要 約
ミクロヘテロジェネイティ(微小不均一性)は古くから糖鎖の際立った特徴と見なされてきたが、今なおその意味は明らかでない。糖質学会奨励賞を頂いた前後に私がどのようにそれと関わってきたかを述べることで、ミクロヘテロジェネイティの意味について改めて考える機会になればと期待してこの小論を書き下した。
はじめに
昔から糖鎖の特徴としてイの一番に上げられるミクロヘテロジェネイティであるが、その意味については曖昧なまま今も取り残されている。時には問うべき意味のない問題として無視されることもある。いやむしろほとんどの研究において無視されていると言った方が正確かも知れない。そんな中、私は懲りもせずいまだにミクロヘテロジェネイティの意味を問い続けている。なぜ他人が考えないことを何十年にもわたって考え続けるのかについては、受けた教育がそういうものだったからとしか言いようがない。教育とは、げに恐ろしきものである。
出会いから奨励賞受賞まで
ミクロヘテロジェネイティとの最初の出会いは、木幡陽先生らのオボアルブミンN-結合型糖鎖の論文(1)だった。研究室に所属して右も左も分からない頃、最初に読んだのがその論文で、いきなり衝撃を受けた。ペーパークロマトグラフィー(例えば2
週間展開)、高圧ろ紙電気泳動、ゲル沪過(55°Cのウォータージャケット付き2 m カラム)で糖鎖構造を決めるのである。大変な労力と技術が必要なのは当時の私でも分かった。糖鎖結合部位を一か所持つ単品のオボアルブミンから10
種以上の糖鎖構造が、他の論文も合わせて決定されていた。さてそこで私の中に疑問が生じた。なぜそこまで苦労して糖鎖構造を微細な不揃いまで詳細に決めなくてはならないのだろうか。
次の出会いは、私自身が実際にある糖タンパク質の糖鎖を分析した時のことだ。HPLCのチャートに現れたたくさんの糖鎖のピークを見ながら途方に暮れている私がいた。無垢だった私は、指導教員であった長谷純宏先生に向かって「検出器の感度を上げるとどんどんピークの数が多くなります。いったいどのピークまで構造を決めれば良いのですか」と、キレ気味に問うた。サイエンスがクリアカットでないことに苛立っていた。答えは得られずしょうがないので、量の多いものから10
種程度を選んで構造を決めた(2)。それで論文になったし、修士号も取れたので、それで良かったのだろう。
問いに答えが用意されていないのなら自分で探すしかない。当時は遺伝子研究が花形だったので、新しいものが好きな私はProf. John B.
Lowe の下でポスドクとして糖鎖遺伝子の研究に参加した。遺伝子は糖鎖よりもクリアカットだったし、ES細胞による遺伝子KO の技術が一般化され始めた頃だったので、遺伝子からのアプローチで糖鎖研究の未来が拓けるように思えた。
帰国後Lowe’s Lab. で学んだ知識と技術を使い、当時実験動物として注目され始めていたゼブラフィッシュのフコース転移酵素遺伝子を単離した(3)。その後1998
年に線虫(C. elegans)のゲノムが開いたのとほぼ同時に、簡便なRNAi法が報告されたことから、線虫を使えば安価・簡便にかつ網羅的に糖鎖研究ができると考えて研究対象を線虫に移した(4)。今にして思えば流行を追いながら研究をしていたようだ。しかしその頃の私は既に少し純粋さを失っていたので、遺伝子からの研究がクリアカットなのは、そのようになる部分だけを抽出しているからだということには気が付いていた。ともあれこの辺りまでの糖鎖構造解析と糖鎖遺伝子関連の研究により奨励賞を頂けることとなった。まことに有難いことで深く感謝している。
受賞から現在まで
糖鎖遺伝子の研究には世界中で多くの研究者が参加し膨大な成果が上げられたが、私自身は、当初の期待の大きさと比べて、あまりハッピーではなかった。それは依然としてミクロヘテロジェネイティの意味は見えてこなかったからだ。遺伝子からの研究によるクリアカットな部分のみが強調され、曖昧な糖鎖構造多様性については意味のないものとして捨て去られたかのように感じていた。そこで初心に戻って、糖鎖の多様性をさらに詳細に観測することにした。様々な動物種や臓器・器官の糖タンパク質糖鎖を網羅的に解析しようと考え、そのために分析法を改良するところから始めた。精製された糖タンパク質と組織サンプルの糖鎖分析の大きな違いは、糖鎖の含有量である。組織サンプルの場合には、効率よく不純物を除け、かつ糖鎖は構造によらず高収率で回収できる手法が必要だった。他にも幾つかの点を改良することによって、組織サンプルから精度良く糖鎖解析を行えるようにした。2-アミノピリジン以外の蛍光物質も比較検討したが、結局は2-アミノピリジンを選んだ。一番の理由は逆相HPLCでの分離の良さである。糖鎖のアイソマー分別にこだわる私の場合、そこは最重要点であった。アイソマーを分別できなければミクロヘテロジェネイティを詳細に観測したことにならないからである。それら種々改良の集大成の論文(5)が出るまでに10年以上を費やしてしまった。手法の改良という仕事はあまり楽しいものではなく、しかも労多くして功少ない。できれば避けたい仕事だが、見たいものがあるのでしょうがない。
もちろん改良だけをしていたわけではなく、その間に、動物界の色々な種が持つN-結合型糖鎖の解析研究も進めた(6, 7)。そこから分かってきたのは、多細胞動物の進化系統の遠近関係と糖鎖の類似性は相関しないということだった。しかもN-結合型糖鎖の構造は、単純から複雑へと進化したのではなく、二胚葉のヒドラが既に複雑な独自の構造を有していた。これは意外な結果で、すなわちゲノムの類似性と糖鎖構造の類似性が必ずしも一致していないことを示している。また脊椎動物になる前後の動物種でN-結合型糖鎖の構造を分析したところ、脊椎動物で一般に観られる2
型LacNAc(Galβ1-4GlcNAc)は、脊椎動物から一歩外へ出ると検出されないことが分かった。つまり2型LacNAcは脊椎動物に特徴的な構造なのだ。そこでゼブラフィッシュを使ってその糖鎖構造の生理的役割を研究することにした。胚発生時期の糖タンパク質糖鎖の構造変化を網羅的に解析したところ、咽頭胚期から急激に2
型LacNAcが増加していた(8)。このような研究のために前述の網羅的解析法を開発してきたのである。さらにその構造を持つコンプレックス型とハイブリッド型N-結合型糖鎖の生合成を阻害すると、ちょうど咽頭胚期に形態の異常を呈し致死となることが分かった。現在は、咽頭胚期にその糖鎖が結合しているタンパク質の探索研究を進めている。これもまた分析法の開発から行っている。見えるものを手取り早く観測して論文に仕上げるのが目的ではなく、見たいものがあるのでしょうがない。
おわりに
ミクロヘテロジェネイティの意味を問うのはナイーブな行為かも知れない。しかしその答えを探すには、糖鎖構造の「ジャングル」に分け入る勇気(無神経さ)と信念(思い込み)が必要である。さらにもっと言えば、現代生物学の尻尾である糖鎖生物学を、時代の頭に据えるには、このジャングルから情報を取り出してくるしかないのだと私は感じている。過去TIGGに、ミクロヘテロジェネイティの進化における役割についての小論を掲載していただいたことがある(9)。残念ながら未だその仮説を証明できるところまで研究を進められていない。そろそろキャリアの終わりも見えてきたので、私自身がどこまでたどり着けるかははなはだ心細くなってきた。しかしそれが謎である限り、私とはまったく別の角度からミクロヘテロジェネイティの意味を問う研究者がきっと現れるに違いない。なぜかと言えば、ヒトとは思いを繋ぐ生き物だからである。
参考文献
1. Tai, T., Yamashita, K., Ogata-Arakawa, M., et al. (1975) J.Biol.Chem.
250, 8569–8575.
2. Natsuka, S., Himeno, M., Hase, S., et al. (1988) J.Biochem. 103, 986–991.
3. Kageyama, N., Natsuka, S., and Hase, S. (1999) J.Biochem. 125, 838–845.
4. Natsuka, S., Adachi, J., Kawaguchi, M., et al. (2002) J.Biochem. 131,
807–813.
5. Natsuka, S., Masuda, M., Sumiyoshi, W., et al. (2014) PLoS ONE 9, 102219.
6. Natsuka, S., Ishida, M., Ichikawa, A., et al. (2006) J.Biochem. 140,
87–93.
7. Natsuka, S., Hirohata, Y., Nakakita, S., et al. (2011) FEBS J. 278,
452–460.
8. Hanzawa, K., Suzuki, N., and Natsuka, S. (2017) Glycobiology 27, 228–245.
9. Natsuka, S. (2013) TrendsGlycosci.Glycotechnol. 25, 125–131.