自己紹介など

ラボ変遷を追うことで自己紹介します。

1stラボ(B4~M2)→神ラボ。研究者の初等教育をしっかりと授かった。アカデミック志望になったのもここのおかげ。感謝してます。糖鎖解析とタンパク質精製のテクを習得した。

2ndラボ(D1~4)→「これからは遺伝子だ」と思い分子免疫学のラボにD進。有名な鬼ラボ。とにかくしんどかった。でもここで生き残れたことで、研究者としてやって行く自信を得た。感謝してます。花粉症を発症。分子生物学のテクを習得した。ちなみにこのラボの教授は、84歳の今も自分のラボ持って研究しています。「わしは研究が、おもろておもろてたまらんのや」と河内弁で仰ってました。

3rdラボ(28〜35歳)→教員4人体制のラボで、1人若い助手だったので比較的自由にやらせてもらった。感謝してます。糖鎖の研究で、ゼブラは4thから帰国後に始めた。

4thラボ(28〜30歳)→3rdから長期派遣でUSAへ。ボスはアメリカ人としては破格に細やかな人で気が合った。分子生物学を使った糖鎖関連酵素の研究。2ndラボで身につけた分生のテクをフルに使えたので、結構ちょろいなと思った。でもボスに見せてもらったグラント申請書類が凄くて、とても英語でこんなの書けないと思い帰国。これまでの研究者人生で一番楽しい2年間でした。感謝してます。

5thラボ(35〜40歳)→ラボ経営の能力を付けるために、「ほぼ独立」ポストに公募で異動した。ゼブラから、RNAiが簡単にできる線虫に代えて糖鎖の機能研究を続けた。ちょうど線虫のゲノムが開いた年でもあった。たくさんの人に助けられ、ほぼゼロからラボを立ち上げた。感謝してます。

6thラボ(40〜45歳)→3rdラボの内情により3rdに出戻り。5年いない間にラボは酷い状態になっていた。結局ラボを機能修復できないままボスが定年。後も継げず戦力外通告を受ける。この間、研究も迷走。力及ばず申し訳ありません。今にして思えば必要な挫折だったが、人生のどん底。

7thラボ(45歳〜)→現ラボ。公募20件目で採用された。最初の数年は何をやってもうまくいかずチグハグの空回り。LC-MSの導入とD進した学生さんの努力により研究が軌道に乗った。以後現在に至る。もちろん感謝してます。

今後の研究の抱負→①ゼブラの外因性機能糖鎖と内因性機能糖鎖の研究をそれぞれ区切りの良いところまで持っていきたい。これは科学者としてやりたいこと。②糖鎖構造解析を簡便化して糖鎖シーケンサーを形にするところまで持っていきたい。これは技術者として成し遂げたいこと。③糖鎖構造解析の後継者と場所を作って、内外のニーズに応えたい。場所をどうやって作るかが課題で、大学のポストや起業を模索中。提供してくれる人・組織があれば感謝します。