知りたいという欲望

先日MBAの人と話していた時に、「起業する目的は何ですか?」と訊かれて「糖鎖の可能性を知りたいのです」と答えました。この言葉を発した瞬間、自分の根は起業家ではなく研究者だと悟りました。つまり動機の発端が、人の役に立つためではなく、自分が知りたいからなのです。まさに語るに落ちるというやつです。

もう何十年もの間、「次は糖鎖だ」と言われ続けているにもかかわらず、糖鎖分野は未だにブレイクできずに燻っています。燻るには少なくとも火種はあるはずですが、それすら本当のところは分からないのが現状です。不本意ではありますが、見えている煙がそもそも幻影だったという可能性も考えられます。

そこで、糖鎖の意義について自分なりに白黒つけたいというのが私のモチベーションです。その目的から逆算すると、「糖鎖の意義を知る」→「世界中で膨大な数の糖鎖解析が行われる」→「糖鎖解析が手軽にできるようになる」→「糖鎖シーケンサーの開発」→「解析ソフトウェアとキットの開発」となり、今やっている開発研究につながります。

このロジックは非常にシンプルで、誰でも容易に考えそうなことですが、賛同者を増やすのに苦労しています。不思議なことに、賛同されないだけでなく、敵意を向けられることもあります。「理屈はわかるが、お前がやるのは気に食わない」ということかも知れません。

逆風を数え上げればきりがありませんが、できない理由を並べるのは死んでからでも間に合うので、生きている間はどうすれば出来るかを考えて実践するようにしています。